死にかけて分かったこと 2016.7.23の記録 バイク事故
Mr.Sです。
ようやく書けそうです。
実は、2016年7月23日に、死にかけました。
連れて行かれそうになりました。
あと一歩、ずれていたら。
けれど、奇跡的に助かりました。
完全に、ご先祖様、見えない力に守られました。
そう思わざるを得ませんでした。
死にかけたあの一瞬で思ったこと、その後の行動、今の記録を書いておきます。
魔物がいた
ぼくは夜の19:00時頃、箱根の山道にいました。東京から西へと、バイクでひとり旅の際中でした。バイクにまたがり、夏だというのに、山道・夜という条件でとてつもない寒さに見舞われていました。
震えながら、街灯すらまばらなうねり道を抜けていく。雨が小雨だったのが本当に救いだ。「早く。」「早く。」こればかり考えながら「到着まで25km」と表示される地図を頼りに、道をひたすら走っていく。とにかくはやく麓へ降りたかった。
数分後、スマホの充電も切れて地図が開けない。とはいえ宿はもう、電話で予約しており、あとはそこに向かうだけ。
「麓に下りたら、コンビニで急速充電器を買うかネカフェに行ってスマホの充電をしよう。」
そんなことを考えている矢先。
後ろから猛スピードの車がプレッシャーをかけてきます。とはいえこのうねり道で、これ以上スピードを出すのは危険すぎる。そうはいっても、直進ではバイクで70〜80キロくらい出してました。のっているバイクは、ロードバイクではなく、オートバイです。
わかる人はわかると思いますが、バイクでは70キロでも相当、体に風の抵抗を感じます。
「こけたらタダじゃすまない」
そんなことはいつだって、重々承知の上。これはバイク乗りだけに限らないけど、バイクのライダーはより一層その意識は持っています。
とはいっても、道は本当に明かり一つなく、自分のバイクのヘッドランプだけが頼り。これが切れたら、何一つ見えません。不安が募る。
瞬間、背中にとてつもない悪寒がしました。
ぼく自身、霊の類ってそこまで信じないというか、実際いるとは思うけど自分にはそこまで関係ない、といった感じで生きてきました。
ただいきなり、ふと、冷たい悪意を感じました。それはきっと女性だったと思います。
ぼくは意識を100パーセントのこしたまま、金縛りのようになりました。
「曲がりたいのに曲がれない」
これが正しい表現。
「あ〜、終わる。」
急カーブで右折できず、崖へと直撃しました。
ただ、手前に2メートルほど草むらがあり、スピードを減速してくれており、自分の両手もかろうじてブレーキをかけていたようです。
とはいえ時速60kmでの、とがった大岩への激突。
「痛った・・・」
直撃〜そのあとに思ったことは、
「うわ〜、マジか」「あ〜、面倒くさいことになるな」「さて、どうしようか」
そんな感じで、思っているより冷静。
左のミラーは根元からふっとび、尖った草木が体に突き刺さる。
幸い、意識はしっかりしています。
後ろから来ていた車が止まってくれました。
30後半〜40台前半くらいの男の人。
10歳前後の男の子2人。
向けられる目は憐れみ、そしてどこか冷めた目です。
「バカだなぁ・・・」「自業自得」だよなって感じでしょうか。
けど、それは自分自身が一番思っていること。
現実的には
「面倒なことに自分が巻き込まれたくない。」
「事故ったやつになんて、関わりたくない。」
これがほとんどの人が思うことでしょう。
ぼくだってきっと。それを否定はできない。
その男の人は、救急車を呼ぶか、どうするか?もしあれなら近くの救急病院まで運んであげる、と言ってくれました。
第一目撃者として、最低限の義務だと思ったのでしょう。それでも本当に優しいし、とても暖かい、一筋の光のように感じました。
私は「バイクが動かなければお願いします・・・」といってエンジンをかける。さすがに街灯ひとつない山道で、怪我したまま救急車を待つのは辛すぎる。本音はなんとか、迷惑をかけずやり過ごしたい。自分の力で、救急病院までいければそれが一番いい。
するとなんと、バイクのエンジンはかかるのです。
体も動く。左半身はやばいことになってる気がした。無傷で済んでないことだけは確かでした。けど、それを見ないことにして、わたしは「大丈夫です、ありがとうございます」と、告げました。
「気をつけてね」と言い残し、親子を乗せた車は、去っていく。時期が時期ですから、ポケモンGOでもしてたとおもわれていたでしょうか。
起き上がり、バイクのエンジンをつける。
ヘッドライトに照らされた、蛾や芋虫、ミミズがうようよいました。左のミラーが吹っ飛んでいて、メーターの上のカバーはすり傷だらけ。
それでも気にせず、またがる。一刻も早く、ここを抜けよう。
いつバイクが止まってもおかしくないので、40kmにも満たないスピードで無心で走っていく。もうややこしい分岐はなく、麓までは地図を見ずにもいけそうです。
救急病院へ
ようやく信号が現れる。町の明かりもちらほら。
すぐ近くにコンビニもありそうです。
見つけたコンビニはとても広い駐車場があり、隅で数人がたむろしています。
バイクを止めて地面へへたりこむ。とてつもない安堵感。
集中力が切れたのか、左足が急速に痛みます。
見ないふりをしていた、血でかたまったジーパンの破けた部分をおそるおそる覗き込むと、数cm抉れており、見えてはいけない部分が見えている。
さすがに、これには自然と涙がでました。
でも、やることは、すぐに充電を復活させて救急病院へ行くこと。
急速充電器、簡易的な包帯、飲み物などの買い物を済ませ、駐車場にへたりこみながらスマホを充電。視線が痛かった。
救急病院はここから10分圏内に1件あった。
電話をかける。冷たい対応に感じる女の方でした。
「あぁ、事故ですか。そうですか。」
「骨折でしたら整形外科なので、うちでは難しいですね」
あしらわれそうになるも、骨折はなさそうでしたので、丁寧に状況を説明していく。
なんとか「それでしたら、気をつけてお越しください」と言っていただけたので、向かうことに。
時刻は21:00頃。ランプがひとつひかってるだけの薄暗い救急病院。
バイクを止めて中へ入ると、結構な人がいます。
ぼくの前で受付していた人は、泣きそうな顔で指を抑えていました。
友人と2人でおり、話を聞く限りドアかなんかで挟んで血だらけとの会話。
深夜に病院にかけこむ必要がある人、それぞれの阿鼻叫喚。
確か、20分ほどで通してもらえました。
左足をひきづりながら中へ入ると、医者の男の人、ナースさんが2人ほど。
横になり痛みをチェック。麻酔をしてまずは足の縫合。
「あぁ、痛い。痛い。」
痛みに圧倒的に支配されている。
パチパチと切られる自分の肉の感覚が伝わる。本当に嫌な時間。
それ以外の10箇所以上におよぶ擦り傷のうちひどいものは消毒、処置していただきました。
ひとまず終了し、左の肺のあたりが痛むのでレントゲンをとってもらう。幸い、折れていることはない様子。けど痛いんだよな・・・。後からヒビが発覚するケースも結構あるらしい。
と、そんな感じで処置が終了。
時刻は事故を起こしたであろう19:30頃から3時間以上が経過していた。
仮予約していた宿まではまだ、30分以上。さすがにいけない。
断りの連絡を入れて、近くの宿を手当たり次第当たるも、時間が時間だけに全滅。
ネットカフェに泊まるしかないようです。
この救急病院には、本当にお世話になりました。
悲壮な状況を笑顔で対応してくれたお医者さんに感謝。
バイクで5分ほどのネットカフェの深夜プラン。
疲れがどっと押し寄せ、とにかく長すぎるこの3時間あまりを思い返したりいているうちに、いつの間に眠ってしまいました。
狭くて寝づらい・・・なんてことを言ってる場合でもありませんでしたね。
というわけで事故当日の記録はこれで終わり。
続きはまた、書ければ書きます。
その日のメモ帳にはこんなことが書いてありました。
痛み。怖い。本当に。本当に。
生きていてよかった。
本当にそれだけ。本当に運がいい。
死んでもおかしくなかった。
神様に心から感謝します。
人に心から自分にできることを与え、笑顔にすること。
今周りにいてくれる人を、めちゃくちゃ大事にする。
この命に感謝し、この人生で人に全力で愛を伝えたい。
本当にこれだけだ。
終わりに
その一瞬の選択が全て。
これを自分が誤れば、事故は起きる。
究極の自己責任や孤独の中で、誰もが生きている。
誰もが死に際、圧倒的な孤独の中で死んでいくしかないのかもしれない。
そして自分も特別ではない、そう思わざるを得なかった。
でも、それまでの道の途中で、人と人との愛や絆が確かにある。
ぼくはこれを今より大事にしたいと思った。
今そばにいる人に、圧倒的な感謝を。
振り返れば誰もがきっと、一瞬のような人生を生きているから。
奇跡としか言いようがなかった。それも軽傷で済みました。
きっと奇跡なんて、生まれた瞬間から何度もあったんだろう。
その奇跡が重なって、今日まで生きてこれてきた。
じゃあ、私が感謝を伝えたい相手って?
そしてその日がくるまでにやるべきことって?
とにかく、とてつもない財産となる経験ができました。
人生観がまた大きく、変わりました。
本当にありがとう。