元・遅刻王の反省ブログ。遅刻をし続けることが、他の誰でもない自分の首をしめているということ。
これは学生時代に「遅刻王」として名を馳せた男の、反省の記録である・・・。
良いことを言おうというよりは、素直に過去の自分に届けたい。
元・遅刻王の反省の記録
遅刻をするということは、決められた時間に対して「逆算して準備ができていない」ということ。これは、あなたも承知の通りである。
私は昔から遅刻の常連で、学校に毎回遅れるたびに「自分にそれが必要でない、重要度が低いからだ」なんて思っていたが、実はそういうことだけでは済まされなさそうだ。これについて最近、本当の意味でようやく理解ができた。
遅刻をする自分というのは、人にも寛容にはなれたわけだが、やはり損をすることも相当に多い。例えば、寝坊して飛行機に乗れなくて1万円以上損をしたこともあるし、大事な集まりに間に合いそうになくタクシーを使ったことも数えきれない。目に見えるお金の部分だけでなく、人の信用なども含めるとかなりの損失を出しているだろう。
ただ、だからこそ1人で家でできる仕事ということで個人事業主の道を選んだ背景がある。(僕は専業ブロガー・アフィリエイター・コンサルタントなどやってます)
これはいわば必然の選択なのかも知れない。笑
話を戻すが、遅刻をするということは、たとえ遅刻の対象が自分にとって意味の少ないものだとしても、それを選択しているのは今の自分なのだから、遅刻するくらい優先度が低いものを続けているのがそもそもおかしい、という風にも言える。誰かに怒られるから遅刻をしないとか、そんなレベルで生きてはいけない。もっと主体的にならないといけないと思うのである。
そして、誰しも人生には終わりがあるから、そこに向かって逆算して行動をしていく必要がある。やりたいことにどんどん決着をつけていき、人生の核となるものをやり続ける。もちろんいつ人生が終わるかは分からないが、だからこそ、20代前半でやると決めたことは必ずやるべきだし、20代後半でやると決めたことはきっちりやり通す。ここへの姿勢や責任が、人生全体の質を大きく決めるということだと思っている。
遅刻グセがある人は人生全体でみても見通しが甘いことが多く、結局やらない。細かい部分で先送りや後回しをしているのに、大きな括りでそれができるわけがない。
つまり、遅刻をし続けていることが、誰でもない自分の首をしめているということを私は20代後半になってようやく理解できたのである。これは時間という人間の最大の資源について本気で考えると、至極当たり前の話として理解できるようになる。
私がこのように考えるきっかけになったのは、自分のお金で成長のために高額なコンサルティングなどを受けるようになったり、高額なコンサルティングを自分自身も引き受けるようになったことが大きい。
それによって嫌が応にも責任が生じる。大きなお金を動かすというのはそれくらいにインパクトがあるのだ。そして今の私は本当にやりたいと思うことや、会いたいと思う人にだけ会うようにしているので、昔に比べると遥かに時間を大事にできるようになったと思う。
自分が本当にやりたいもの、学びたいものに対しては、遅刻すべきではない。それでも遅刻してしまうようなものは、そもそも自分が本気じゃない可能性が高い。もう一度その点をしっかり見つめ直して、本気のものにだけ絞るのである。
人生単位で当てはめるなら、むしろ前倒しでやっていくくらいがちょうどいいのである。これは少しでも早く、誰もが気付くべきことだ。
遅刻は自分のために、もうやめよう。
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