違和感の正体について
先日久々に親族の集うご飯屋に行った。
そこには未成年の頃から顔を合わせてる父親つながりの先輩方がいる。
それこそ50代前後の人々の中に、20代そこそこの人間がポツンと入ってくわけ。これはこれで、普段味わえない良い刺激というか、ごもっともな言葉を沢山いただける。
「若いうちは苦労したほうがいい」
「生きてくのは大変」
「俺が若い頃は〜」
「お金は絶対貯めとけよ」
きっと、誰が聞いても正しい意見だ。
これを「そうなんですね」「うんうん」としっかり聞くのは大切かもしれない。
実際その方達は親切心であれこれ言ってくれるし、話自体、面白いものが多い。
人としても好きな方々だ。
でも、あんまり脅しのように「絶対こうしたほうがいい、ああしたほうがいい」という意見をアチコチから聞くから、大抵「自分の持っている意見が間違ってるんじゃないか?」とかって揺らいじゃったり、結局どうしていいか訳が分からなくなる。
けど、どんなに人や常識から見て"間違ってても"、自分の衝動を突き動かすものを、その人生のそのタイミングで貫き通すほうがよっぽど大事だと僕は、思う。
萎縮してしまったり、理想としない自分を演じるしかない空間に長く居続ける意味は1ミリもない。少なくともそこには楽しさも成功も存在せず、架空の貯金である"苦労"だけが積み重なってゆく。
誰に理想論と言われても、生きてくのは楽しいし、仕事は楽しく稼がなきゃ意味がない。この辺は、本を色々読みだしたり成功してる人の音声を聞くようになってから、自分の中に確固たるものを持てるようになったし、本当にそうやって生きてる人、そう思い続けてる人にしかその事実はやってこない。
そのためにも、とにかく行動する。
でも、その節々で、必ず人が助けてくれるから感謝する。
その人達が気持ち良くなれるように真剣に話を聞いたり、言葉を発する。
自分が何をできるか、与えられることや貢献できることを常に考える。
人の砂場じゃなくて、自分の砂場を大きくして人を招く方法を考える。
トイレに行きたいのにその場でモジモジしてたって、結局、我慢できなくなって行くんだから。さっさと行ってしまった方がいい。行動してナンボの世界だ。
それくらい自分の中に流れる血が騒ぐような使命は、絶対的なものだ。
・・・ということで話が逸れたが、半年分くらい分はガミガミポイントを取得できたのでしばらくそこはノータッチでやりたい放題やろうと思う(笑)
- スルースキルを身につける
- 聞く側としての選別スキルを身につける
- 毎日囲まれる人間の選別を大切にする
とにかく違和感の正体は、自分の覚悟と行動力の乏しさにあった。
まだまだ足りないんだな。少数派、異質になることを恐れちゃいけないな。
そんな独り言でした。